

隣の芝は青く見える
「 幸 せ 」 に もし、 職業的定義があり、
年収や経済力 、
容姿や才能 、
家族構成
そして名声 や
社会的な地位 など わかりやすい形があったなら
良かったのにと思います。 ただひたすらそれだけを
目指せばみんなが
確実に幸せになれる。 そんなふうに信じられるような
「形」があれば人の迷いは
今よりももっと少なかった
ことでしょう。 クライエントさんの中には 財閥の家系の一人娘や、
有名病院の院長夫人、
議員や会社経営者や
その妻たち 世間からは羨ましがられるような
『足りている』人たちもいました。 彼女たちは周囲に決して
ボロを出せない環境下にいる。 他人だけでなく、
その一族や家族にさえ
本音が言えない。 それだけに自分の人生を
生きることが困難だと
感じていました。 正直になれない、 なってはいけない。 自分の内なる声との戦いが
日々繰り返されていました。 自分は恵まれている。
幸せと感じなければいけないと。 深い懊悩。
結論の出せない状況が
孤独の中で広がっていくのです。 そん


自分の選択をずっと悔やむ
私たちは人生の中で
数千、数万いや何億回もの 選択をしています。 日々の選択こそが「人生」 と言っても過言ではないでしょう。 あの時、もし、別の選択肢を 選んでいたら・・・・ 受験する学校、
就職する会社、
職業、
恋人、
配偶者、 こういった大きな選択以外にも
ちょっとしたことでも
そこから運命が急展開し
変わることもあります。 思い通りの結果が得られない時、 後悔してずっとその場に 立ちつくす人。 また別の方法を考えてみようと思い 動き出す人。 この二人の人生は
大きく変わってくることでしょう。 そして人生が終わるとき、
どのような選択をしていても 動けなかった人の選択肢は 結局動けないなりの 結果。 動ける人の選択肢は 動いたなりの結果。 つまり大切なのは、
どういった思考で選択を してきたか、だと思います。 今までの人生失敗したな、とか もっとあそこで こうすれば良かった とか そう感じたら明日からその思考を
変えれば良いのです。 どんなにチャンスがやってきても、
失敗を恐れて踏み出せない人は
チャンスを掴める


空が青いだけじゃときめかない
だいぶ以前に 「空が青いだけじゃ、
私もうときめかないんですよ。」 相談者にそう言われた。 彼女は職場の人間関係に悩みを
抱えていた。 「職場の人間関係がつまらない」
「話が合わないから、話がはずまない」 人によってはそんなこと? と思われるかもしれない。 しかしこれが彼女の差し迫った
悩みだ。 職場でセクハラやパワハラに
あっている人や
左遷や降格、イジメなどの
深刻な悩みに直面している人が
聞いたら、きっと「そんなことで!」
と思うでしょう。 でも「青い空にときめかない」って、
心が硬直している状態なのです。 たとえ原因に深刻さが無くても、
彼女が今を感じられていないことは
結構深刻なこと。 「今」を生きている実感が
希薄になっているからです。 私たちは嵐や台風の後、
そしてあの震災の後ですら、
気持ちを上向きにしてくれたのは あの「青空」が有ったから
ではないでしょうか? どんなに辛いことが有っても
きっと私たちの頭上に
青空が広がってくれるから
太陽が昇るから それを信じて悪天候の下でも
生き抜いて


すべきこと
「べき」の壁 私たちは知らぬ間に
自分自身で作った
「こうあるべき」「こうすべき」に
縛られています。 さて、その「べき」の
正体はいったい何だと
思いますか? 多分「世間」「常識」
という風に答えられる
のではないでしょうか。 「普通、こうだよね。」
「社会人ならこうしなくちゃ。」 その正体は「固定概念」です。 例えば世間っていったい
日本国民の何パーセントを
指しているのでしょうか。 その常識は日本全国
津々浦々どの地域でも、
つねに常識で
有りえるのでしょうか。 おそらくそれは あなたの育った環境において、 あなたが「感じた」もの、
周囲の数人が言ったこと
でしか無いのでは? 何人がそれを言葉に
だして言いいましたか? 結局のところ
自分自身で構築した
「べき」の壁で身動きを
取れなくしている、
そう感じるのです。 「こうしないといけない」
からやりたくないのに、
しなくてはならないことって
確かにあります。 でもそれって、
させられているのか、
自分がしようと思って
している事なのか。


夢なんてない
「今はないものについて考えるときではない。
今あるもので、何ができるかを考えるときである。」
byヘミングウェイ 今の時代、自己啓発、
能力開発講座とか
ものすごく沢山有ります。 お高いところからリーズナブルな ものまで。 値段も、手法も、講師も千差万別、
玉石混合という感じですね。 あなたには「かなえたい夢」って
明白に有りますか? 自分が自己啓発や
能力開発に興味があれば 自然とそういった情報に目が行くし
出掛ける先もそういったところで
当然出逢う人もそういう人たち。 だからほとんどの人達が「夢」
を持っている。 「志」を持っている。 立派なのです。
立派なことを語れます。 「夢が無い」「希望が無い」と
生きている意味が薄れる・・・
そんな雰囲気を漂わせる
講座もあります。 ところが職場や普段の友達に
「あなたの夢は?」と訊いて
即答できる人って少ないのでは
無いでしょうか? 予想できるのは「宝くじに当たる」とか
突発的におこる幸運!みたいなもの。 世間の人はそんな感じでは
無いでしょうか?


一人が寂しい
「ぼっち」とソリスト どちらも「一人」を 指している単語なのに
ずいぶんイメージが 違うって感じませんか? もし、あなたが誰かに 「ソリスト」か「ぼっち」の どちらですか?と
質問をされたとします。 あなたはどちらになりたいか? 人からどちらに見られたいか? どちらがより尊敬すべき人か? ほとんどの人が「ソリスト」を
選ぶのではないでしょうか? 「ソリスト」と聞いて思い 起こすのは
オーケストラやバレエの舞台。 壇上で一人で見せ場を作れる
スターというイメージでは ありませんか? 最近話題のCWニコル氏は、 ソリスト(=独創するヒト)と 定義しています。 私の定義は「一人で何かを 確立している人」です。 自ら努力や研鑽を 惜しまなかった人。 なりたくてそうなった人。 自分の立ち位置が しっかりある人。 他人に左右されない人。 ところが「ぼっち」の イメージは、 こちらはなりたくて なったというより、
情況でそうなってしまった そんな感覚が伴います。 「ひとりぼっち」のぼっち。 どことなく可哀想で 触れてはいけないような状態。 周囲から


満ち足りぬ月(満月に寄せて)
今夜は満月ですね。 心理占星術では、 ホロスコープ上の月は
人の心、内面を意味します。 月はわがまま、 月は寂しがり屋。 承認欲求の塊なんですよ、 誰の月も。 多くの人が今よりもっと 何か欲しい、 もっと満たされたいと 願います。 今も幸せかもしれない、
でも私より恵まれていて 幸せな人は沢山いる。 もっと素敵なことが 何処かにある。 そんな風に考える人も 多いと思います。 もっと容姿や知性に 恵まれたら。 人は自分の足りない部分、
弱い部分、そこに目をやり、
なんとかそれを修復したい、
改善したいと考えがちです。 ふと気付くとそこにばかり 焦点を当てています。 そう、完璧な満月を 目指すかのように。 例えば、結婚していても 独身の頃のように お互いを奪い合うような 恋愛をしたいと憧れたり、 子供が元気で可愛い笑顔を 見せてくれるのに
受験勉強をしないことを 責めたり 私たちは大人になるに連れ
ものごとの本質より、
その取り巻きのような物に
惑わされることが 多くなってしまいます。 周囲からみればあなたは
満ち足りた満月のよう


愛されたことがない
誰かに無条件に愛された 記憶はありますか? 過去、そして現在に至るまで。 カウンセリングをしていると 「親から愛された記憶がない。」 「誰からも一番に 愛されたことが無い。」 少なからず耳にする、 ちょっと切ない言葉です。 でもそれが「事実」であるか どうかはわかりません。 本人が望むように「愛されなかった」 だけかもしれませんし、 本当に愛されなかったのかもしれません。 しかし今「あなたがそこにいる」 という事実は、 あなた以外の誰かが 生まれたての無力なあなたに 生命を維持できるような行為を してくれたことを意味します。 新生児にミルクを飲ませるのは とても気を使います。 首の座らないふにゃふにゃのあなた。 しっかりと頭を手のひらで固定して、 きちんと吸えているのか、 ちゃんと飲みこめたか、 空気が入ってしまっていないか、 授乳の間中、 その誰かはあなたの様子を 注意深くうかがっていたはず。 そこには気遣いや思いやり、 そして少なからず愛情が 有ったはずです。 人には「絶対的な愛の経験」が 必要だと考えています。 それはまさしく母性に近い形で


自分が好きじゃない
自分を信頼し始めたその瞬間に
どう生きたらいいのかがわかる
byゲーテ 自分が自分を嫌い、
もしくは好きじゃないと
自分以上に自分を
愛してくれる人を
見つけるのはとても困難になります。
もしあなたが自分のことを
大切に扱わないと、
他人から見てもあなたの
価値が見えなくなるのです。
例えばピカピカに磨き上げた
バカラのグラスで飲む
お水と 3つで100円の
雑に洗うために傷だらけの
プラチック製コップで
出されたお水。
どちらが美味しく感じるでしょう。
どちらがより、もてなされたと
優越感に浸れるでしょう。
あなたが自分を軽視すると
他人に依存しやすくなります。
他人から認めてもらうことで
やっと自分がいていいんだと
思えるから。
本当の恋愛をしたいなら
相手に大切にされたいなら
どうか自分を認めて、
好きになれるように
トライしてみよう。
今まで生きてきた過程の
どこかで自己否定するような
体験をしているかもしれない。
でも、今はもうそれは終わった。


誤解されやすい
「理解されるということは
最大の贅沢である」by 野末陳平 誤解されるもっとも可能性の強い 理由は「コミュニケーション不足」 であると思います。 それは毎日会っているとか、 話をしているという表面的なことでなく 本当の感情を相手に伝えているかが 関係してきます。 理解するためには 相手に対して少なからず 努力が必要になります。 おっかなびっくり相手の 顔色を伺いながら 愛想笑いを続けていたら 誰もあなたの素顔が見えない。 だからあなたが作り上げた ペルソナ(仮面)だけが 独り歩きしていくことになります。 それはあなたとは別人で 欲しい評価はもらえないのです。 誤解されないための 最良の方法は あなたが相手を理解しようと 努めることです。 ちょっとした変化に気づき、 ほんの一言声をかけるだけ。 そんな些細な積み重ねが 相手の心に降り積もっていきます。 あなたから、相手を誤解しないよう ふるまうだけです。