隣の芝は青く見える

「 幸 せ 」 に もし、
職業的定義があり、 年収や経済力 、 容姿や才能 、 家族構成 そして名声 や 社会的な地位 など
わかりやすい形があったなら 良かったのにと思います。
ただひたすらそれだけを 目指せばみんなが 確実に幸せになれる。
そんなふうに信じられるような 「形」があれば人の迷いは 今よりももっと少なかった ことでしょう。
クライエントさんの中には
財閥の家系の一人娘や、 有名病院の院長夫人、 議員や会社経営者や その妻たち
世間からは羨ましがられるような 『足りている』人たちもいました。
彼女たちは周囲に決して ボロを出せない環境下にいる。
他人だけでなく、 その一族や家族にさえ 本音が言えない。
それだけに自分の人生を 生きることが困難だと 感じていました。
正直になれない、
なってはいけない。
自分の内なる声との戦いが 日々繰り返されていました。
自分は恵まれている。 幸せと感じなければいけないと。
深い懊悩。 結論の出せない状況が 孤独の中で広がっていくのです。
そんな一人一人の苦し気な声が 私の脳裏に残っています。
持っているものに相応、 もしくは比例して抱えるものも 大きいのではと感じていました。
人は決してカタチで幸せを 測れない。
持っているものだけで判断は 出来ない。
「隣の芝生は青く見えるもの」
でもそれはただ青いだけで そこに意味はありません。
大切なのはあなたの芝生です。
あなたの「幸せ」の芝は あなたの中でしか育たない ものだから。
幸せは「感謝」を感じた時 あなたが心からそう思えた時
誰にも等しく平等に 「安心」「幸福感」を もたらしてくれます。
だからいつでも、 今すぐにでも 私たちは「幸せ」に なれるのです。